ミャンマー国鉄元 広島電鉄750形

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広島電鉄750形は、大阪市電から1965年〜1968年に移籍した車両で、元大阪市電1601形、1651形、1801形である。1601形は1919年製、1651形が1940年製、1801形が1950年製。広島電鉄移籍時に元1601形が751〜760、元1651形が761〜764、元1801形が765〜772で付番された。

製造会社は元1601形が藤永田造船所・梅鉢鉄工所、1651形が木南車輛、1801形が富士車輛。車両寸法は長さ13,700mm×幅2,480mm×高さ3,845mm(元1601形は長さ13,710mm×幅2,488mm×高さ3,877mm)。最高運転速度は40km/h。車体は半鋼製。

後継車両の導入により順次置き換えが進んでいるが、このうち772(元大阪市電1831)が2015年にミャンマー国鉄に譲渡された。広島電鉄3000形3005・3006とともに譲渡され、これらの車両がミャンマー国鉄初の電車である。

現地到着後、塗装変更・車両番号変更が行われたが、その他の改造はほとんど行われていない。ミャンマー国鉄での車両番号は「TCE701」。TCEはTram Car Electricの略である。

電化されたヤンゴン臨港線の運用に就き、2016年2月より営業運転を開始した。しかし、2016年6月30日をもってヤンゴン臨港線の運行が休止されたことに伴い、現在は保留車両となっている(War Dan基地に留置)。

広島電鉄750形772号改め「TCE701」の外観。塗装はミャンマー国鉄にて水色と青のツートンカラーに変更された。1950年製で、ミャンマー国鉄に譲渡された車両の中で最も古い。吊り掛け駆動の抵抗制御車である。

War Dan基地にて(以下、許可を得て撮影)
上写真と反対側のエンド。車体塗装は変更されたものの、前面の「ワンマン」表示やドアの「出口」表記等、各種日本語表記も残されている。
中央扉付近と「TCE701」の車両番号表記。ドア窓には「入口」表記や広島電鉄時代のドアステッカーも残る。
車体裾の「大阪市電 昭和43年広電移籍」銘板。日本語のみの表記のためミャンマーの一般の方は読むことが出来ないものの、車体塗装時に一旦取り外し、塗装完了後にわざわざ再設置された。
屋根上の様子。ヤンゴン臨港線の電化区間は高さ制限が他の路線よりも緩いため、冷房装置等は存置されている。パンタグラフは特に改造されていない。
車内の様子。広島電鉄時代は床が板張りであったが、滑り止め付きのマットが敷き詰められたのが最大の変更点。
座席及び床の様子。「ゆずりあいの席」表記はそのまま残されている。
中央扉。広島電鉄時代の表記・ステッカーは存置。
広島電鉄の運賃表も掲出されたまま。
運転台背面。
車内の車両番号表記。外には広島電鉄時代の車両番号表記は残されていないが、車内には「772」の表記が残る。
車内の「大阪市電 昭和43年広電移籍」の銘板。大阪→広島→ヤンゴンと渡り歩いてきた車両の証。
広島電鉄時代の運賃表記。
運転台。
各種装置には、英語表記がマジックで追記されている。
運転台背面に掲出されている、ヤンゴン臨港線の時刻表。
■日本時代の記録
広島電鉄時代の750形772号。

以下、江波車庫にて(許可を得て撮影)
塗装は大阪市電時代のものを踏襲していた。
上写真と反対側のエンド。
車体裾の「大阪市電 昭和43年広電移籍」銘板。
ドア横の諸元表記。
772の車内の様子。搬出に向けて、一部機器が取り外されていた。
772の運転台。
右隣の3000形3005と共に、江波車庫で搬出の時を待つ。
2015年7月21日、いよいよ江波車庫より搬出され、神戸港へと陸路で向かった。
トレーラーに載せられた772。
輸送に際して、冷房装置及びパンタグラフは一旦取り外された。
宙を舞う772の台車。
772の台車は3006の台車と共に、別のトレーラーで神戸港へ輸送された。

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