東京メトロ5000系

5000系63F

1964年の高田馬場〜九段下間の東西線区間開業当初から使用されていて、 1964〜81年までの17年間、7次に渡って投入されつづけた。最盛期は428両。 営業当初は3両編成であったが路線延伸と共に7両編成に増備され、 混雑緩和のため最終的に8M2Tの10両編成となった。 20m4ドア車両で、セミステンレス車体(骨組は鋼製で外板がステンレス製)である。 また、2、3次車の一部として7連3本がアルミ車体で製造された。また、東葉高速鉄道1000形も5000系を種車にして、改造したものである。後年に抵抗制御から界磁添加励磁制御化、冷房化が実施された。

5000系は17年間に渡って増備されている そのため、さまざまなバリエーションがある。 例えば、当初の車両は、戸袋窓がついていたが増備車はこれを廃止した。 また、後年になって更新工事で戸袋窓を埋めた車両も存在する。他にもドアの化粧板の有無、化粧板の色 (クリーム・アイボリー)、座席の色(茶色・赤)、妻面の中間簡易運転台設置による妻窓の下の大きな段差の有無、側窓のユニットサッシ角が丸型・角型)、ランボードの脚の数(4脚・7脚)などなど、興味は尽きない。

05系が登場してから廃車が進み、07系が有楽町線から転属してきた2006年度に全廃された。廃車後は基本的に行徳検車区等で解体処分されたが、2006年度まで残った最後の3編成(59F、66F、67F)はインドネシアのPT. KAI(PT. Kereta Api Indonesia)に譲渡された。2007年より現地にて営業運転を開始している。また、90Fは行徳検車区にて3両編成に組み替えられた後、解体されずに留置されていたが、2010年に解体された。

関連ページ:「KRL JABODETABEK-元 東京メトロ5000系」

アルミ試作車の90F
5000系車内未更新車車内(5601号車)
5000系車内更新車車内
ユニットサッシの比較(左:角型、右:丸型)。
5000系標準のS形ミンデン空気バネ台車。
葛西に到着する、ヘッドマーク付きの5000系59F。
5000系運行最終日、初電の運用に入った5000系59Fが西船橋駅に入線する。
5000系運行最終日、西船橋始発の初電の運用に入った5000系59Fの車内の様子。
東西線でのすべての営業運転を終え、深川検車区へ回送されていく5000系59F。5000系最後の東西線の本線走行シーン。
JR線直通津田沼行きの運用に入る、5000系59F。
平日朝夕ラッシュ時限定でJR総武線に直通する、5000系59F。
西船橋駅8番線を発車する5000系59F。
浦安に到着する、ヘッドマーク付きの5000系59F。
西船橋駅7番線を発車する、ヘッドマーク付きの5000系59F。
西船橋駅5番線を発車していく、回送列車(当駅止まり)の5000系59F。
中野駅を発車する、快速東葉勝田台行きの5000系67F。
西船橋駅8番線を発車する、5000系のアルミ試作車、90F。
西船橋駅7番線を発車する、5000系90F。
JR線直通運用に入る、快速中野行きの5000系90F。
東陽町を発車する、西船橋行きの5000系90F。
05系初期車と離合する、5000系90F。
浦安駅に到着する、5000系90F。
西船橋駅を発車する、現役時代の5000系97F。当編成は引退後、3両が行徳検車区の訓練車として残ったものの、2007年に全車解体された。
西船橋駅を発車する5000系97F。2004年撮影。
行徳検車区で解体される、東京メトロ東西線5000系58F。
EF65 1119牽引で、川崎貨物へ甲種輸送される東京メトロ東西線5000系67F。インドネシア・JABODTABEK鉄道への5000系譲渡第1号。
川崎貨物へ向けて、EF65 1110で甲種輸送される東京メトロ東西線59F。

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