新砂あゆみ公園5833号車 撤去

南砂町駅前の「新砂あゆみ公園」に2002年4月1日の開園以来、同公園のシンボル的存在として置かれていた5000系5833が、南砂町駅改良工事(2面3線化)に伴い2013年9月5日を以て公園内の他の遊具と共に閉鎖された。同月初旬には撤去工事が行われた。公園内の工事自体は2020年3月31日まで行われる予定で、南砂町駅の2面3線化は2020年度に完成が予定されている。

廃車後、11年半に亘って新砂あゆみ公園を見守ってきた5833。一部の心無い人々による破壊行為により車両の状態は日に日に悪化し、末期は満身創痍状態であったが、日本国内最後のセミステンレス車体の営団5000系として貴重な存在であった。5833の撤去によりセミステンレス車体の5000系が残存するのはインドネシア・KRL JABODETABEKに譲渡された5000系のみとなった。なお、三菱重工に長らく保管されていた5041も2013年7月に解体された為、日本国内に残存していた5000系セミステンレス車2両は2013年にいずれも消失したこととなる。

開園時は公園の周辺も未開発の土地があったが、その後の11年間の再開発で周りの景色は大きく変わった。ここでは5833の11年半の余生の姿を併せて振り返る。

営団5833 車両経歴
 ・1968年12月17日 日本車輌製造にて竣工。編成:5833-5297-5665-5298-5666-5299-5033(7両編成)。5000系4次車として東西線に配置(東陽町〜西船橋 間開業に伴う導入)。
 ・1977年       10両編成化。編成:5833-5297-5665-5308-5036+5846-5298-5666-5299-5033(5+5両編成)
 ・1979年       一部車両の組替。編成:5833-5297-5665-5355-5123-5923-5298-5666-5299-5033(下線の新造車3両への組替により貫通10両編成化)。
 ・1991年10月28日 冷房化改造
 ・2001年3月5日   廃車
 ・2001年11月頃   行徳検車区(当時)より、建設中の新砂あゆみ公園に搬入
 ・2002年4月1日   新砂あゆみ公園開園
 ・2013年9月     公園内工事に伴い閉鎖・撤去



関連ページ:新砂あゆみ公園5833号車の現状

新砂あゆみ公園内を完全に覆うように設置された工事用の柵。

2013年9月29日撮影
5833が鎮座していた場所。車体のだけでなく、レールや屋根、車輪、円形の屋根もろとも姿を消してしまった。
工事現場を上から見たところ。すべての遊具・暗渠のモニュメント・樹木が撤去された。
ホームを模した部分の床のタイルと点字ブロックだけが残されているのが物悲しい。
南砂町駅3番出口を出たところから見た新砂あゆみ公園の工事現場。
土台から引っこ抜かれ、倒された公園内の照明。
工事に伴う公園内施設撤去の予告看板。
■5833号車 新砂あゆみ公園での11年半の記録
2002年4月1日の新砂あゆみ公園開園から半年後の姿。行徳検車区で他の車両が解体される中、同車は幸運にも保存され、この新砂あゆみ公園に安住の地を得た(と思われた)。塗装もまだ非常に綺麗で、レプリカの各種プレートも鮮やかな青に塗られていた。

2002年10月5日撮影
当時の車内の様子。扇風機は既に破壊されて撤去されたものの、つり革やベンチも綺麗な状態である。前面ガラス越しに見える車両の奥の風景は、マンションがなく現在とは印象が大きく異なる。

2002年10月5日撮影
インドネシア・KRL JABODETABEKさながらの屋根に登る子供の「乗客」も時折見受けられた(非常に危険なため、後に登らないよう注意書きが掲示された)。

2004年3月17日撮影
5000系5833の解説板。
車内の掲示。
東西線と江東区内の鉄道略歴。
2004年4月1日、東京メトロスタート。2004年5月8日・9日に茅場町駅・地下鉄博物館で行われた「お客様感謝イベント」では、営団地下鉄関連の車両や駅構内の部品(Sマーク等)が多く販売された。管理人が購入したSマークの駅の入口の看板と5833。

2004年5月8日撮影
時が経つにつれ、一部の心無い人々による車両への破壊行為がエスカレートするようになり、車内外が落書きの被害にあうこともあった。ただ、少なからずメンテナンスはされていたようで、落書きは数日で除去されていた。

2006年9月10日撮影
窓枠は変形し、ガラスは割られ、車体や残ったガラスはスプレーで汚損している。時にはあまりに惨めな姿を晒していた。

2006年9月10日撮影
前面窓が破壊されたため、窓はアクリル板に交換され、窓の支持方法もオリジナルのHゴムから金属押さえになった。助士席側の窓に貼付されていた編成番号「83」の表記も窓交換により消失。

2007年3月14日撮影
行先表示は開園時からしばらく「快速 西船橋」であったが、2007年頃から「葛西」に変更された(今回の撤去時まで「葛西」表示のままであった)。

2007年3月14日撮影
破壊された尾灯のガラス。

2007年3月23日撮影
2007年3月17日、5000系が東西線から引退。東西線の5000系に「乗車」できるのはこの新砂あゆみ公園の5833のみになってしまった。この角度から見るとホームに止まっている5000系の姿を彷彿とさせる。車内のベンチに座ると、真下を走る東西線の振動や音が伝わってきた。

2007年4月11日撮影
鉄道ファンの想いとは裏腹に破壊行為はさらに進み、ついには前照灯・尾灯がすべてガムテープで封鎖されてしまった。

2007年6月28日撮影
車両の背面・側面。日中は子供達が遊びまわる、至って普通の穏やかな公園であった。

2009年11月7日撮影
前照灯・尾灯がプラスチックの板に交換された末期の姿。配色が本来とは逆になっている(内側が前照灯・外側が尾灯だが、逆の塗装になっている)。

2012年10月28日撮影
撤去2ヵ月前。最後のお別れに訪れた。帯や各種プレートの塗装は剥げ、前面窓も傷だらけで満身創痍状態である。

2013年7月7日撮影
戸袋窓はHゴムごと喪失してしまっていた。「ドアにご注意!」の猫のイラストのドアステッカー(東京メトロ化後も2007年まで使用)も今や懐かしい。

2013年7月7日撮影
末期の車内の様子。落書きはないものの、乗務員室仕切り部の窓(アクリル板に交換済み)には煙草を押し付けたあとがったり、つり革は1つ残らず紛失していたり、全体的に白く退色してしまっており、哀れな最期となってしまった。

2013年7月7日撮影
車内の車番プレート(2002年の開園時より複製品であった)。

2013年7月7日撮影
乗務員室寄りから反対方向を見る。

2013年7月7日撮影
車両の外側から見た車内。
「定年退職」からの老後生活12年間は非常に険しいものであったが、東西線沿線から離れることなく活躍した45年間の一生に感謝と哀悼の意を表したい。

2013年7月7日撮影

関連ページ:新砂あゆみ公園5833号車の現状

「東西線NEWS」に戻る